天神山城主
越後の国蒲原桜井郷天神山城(現在地新潟市岩室温泉天神山城址)
仁平3年(1153)、源三位頼政の弟源頼行魚沼小国堡に住し小同氏を号し小国と天神山に二城を築城し、天神山城に嫡子兵庫頭定頼を居らしむ。
1.頼継
頼連三郎 初代城主 安元二年(1176)、小国頼行嫡孫(源宗頼の子三郎)。文治四年(1188)、養子小太郎吉政(頼政の子供)に松岳城を築き城主にす。小太郎古政は頼続の妹白妙を娶る。三男二女をもうける。
2.頼隆
小国三郎次郎(源頼連の長子三郎)
3.頼景
小国五郎 後遠江守 越後蒲原郡天神城主(源頼度の子五郎)中絶
正平七年(1352)天神山城・松岳城を復城。
4.頼村
小国修理亮頼久 小国又二郎 (源頼隆の子又二郎)
5.実頼
小国興七 但馬守 永禄五年(1562)生。天正十年十一月小国重頼の継嗣となる。(父 坂戸城主 長尾政景の重臣 樋口惣右衛門兼豊)、(母春日城主上杉謙信の重臣直江大和守景綱の妹お藤)。実頼は、樋口兼続(後の直江山城守兼続)の二歳年下の実弟。(兄樋口興六兼続、次男樋口興七実頼、三男与八秀兼、長女きた、二女、三女)。
兼続、天正九年(1581)十月、景勝の命で直江家へ婿入り。妻お船(従姉)、居城は与板城。謙信から受け継いだ『義』の心を生涯貫き通し甲冑に『愛』を掲げ戦国乱世の漢であった。兄兼続と共に実頼は若き頃から上杉家の家臣として戦場を駆け回り、お屋形さまの謙信、景勝のためと働いた。兼続は若干21歳で家老となり、実頼も重臣を務めた。兄弟は武田軍・織田軍との戦いに上杉軍の中枢として働き、天正十年(1582)十一月五日、上杉景勝の命により弟・実頼は小国重頼の養子となり、天神山城主となる。天正十五年(1587)十月二十八日、実頼は秀吉聚楽第新築に上杉家賀使を務める。この時期に大国と改める。文禄三年(1592)、此のころ知行定納高9041石2斗、軍役542人半であった。
慶長三年(1598)、春日山城・天神山城、会津に移封。
朱印状(其方家中侍の事は申すに及ばず中間小者・奉公人たる者一人残らず召しつれ)。上杉景勝公奥州会津に於て120万石を領せらる。実頼の采地2万1千石同心給分3,300石、都合24,300石を賜わる。会津南山の城代を命ず。その後、徳川家康の上杉討伐で会津上杉軍五万で応戦後再度移封。文禄六年、公亦羽州米沢城に移る。大禄は減り三十万石、実頼羽州高畑の上代七千石に。が、城には移らなかった。戦国の世で「兄じゃ、兄じゃ」と呼び慕い生死を共にし、どの戦いにも一緒に戦った兄弟が、後世にはなぜ心が通じ合わなかったものか。
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