岩室温泉
田ノ浦温泉
岩室温泉のみどころ
岩室で遊ぶ
岩室温泉の飲み処・食い処
岩室のお土産・地酒
立ち寄り湯・日帰り温泉
岩室の歳時記
岩室の写真
岩室の文化・歴史
岩室温泉観光協会の会員
岩室温泉の温泉調査結果
岩室までの交通

  岩室温泉観光協会
953-0132
新潟県新潟市西蒲区西中860
新潟市西蒲区役所
岩室出張所内
TEL 0256-82-5715
北国街道物語
岩室地内の北国街道を歩く

樋曽 | 岩室 | 石瀬 | 金池

岩室地内の北国街道は、巻町福井との境の樋曽(ひそ)集落から始まり、山の麓を南下し、岩室・石瀬(いしぜ)の集落を通り、金池(かないけ)集落で弥彦村上泉に接続していました。全長は6km弱の行程です。

(1)樋曽
巻町福井の福井神社から樋曽方向へ道を歩き始めると、昭和40年に完成した広域運営のし尿処理場が見えます。
その手前には、現在では畑地となっている新谷(あらや)集落跡地があります。江戸時代の初期に新谷集落は、現在の平野部へ集団移転したと言われています。
し尿処理場を過ぎると、道は樋曽山隧道の橋を渡ります。右手に隧道の入り口が暗く、小さく見えます。北国街道は樋曽山隧道工事により、現在の道に付け替え られましたが、工事前はし尿処理場の敷地の中央付近を通り、樋曽へと向かっていました。
完成した大通(おおどおり)川放水路の隧道取入口の上には、芝生が敷き詰められ、桜の樹も植えられている、きれいな河川公園が造られています。
歩き始めたばかりですがのんびりと腰を下ろし、東に広がる田園風景を眺め、悪水に苦しんだ先人の苦労に想いをはせることも良いでしょう。
新樋曽山隧道(昭和41年完成)の取り入れ口の上に、工事の記念碑があり、治水事業の沿革とともに樋曽山の紅葉を詠んだ良寛さんの歌も刻まれています。


河川区域内は柵が施されていますが、作業用の通路もあります。柵の中や通路へ立ち入ることは危険ですからやめましょう。特に幼児・子供と一緒の時には、河川公園内でも目を離さないように心がけて下さい。
放水路の施設を管理している人たちが、トイレの清掃や付近のゴミ拾いなどを行っています。
道の右側には小さな祠(ほこら)に祀(まつ)られた観音様が安置されています。北国街道を通る旅人の安全を見守っていたことでしょう。観音様の祠の位置 は、新樋曽山隧道の工事で若干移動されたと推測されます。見上げる小高い山の山頂には、観音山古墳があります。
北国街道はゆるやかに平野側へカーブを描いて、樋曽へと続いています。道の両側に水田が見えるところから、北国街道は現道と同じになります。 道の右側に小さな祠に安置されているお地蔵様があり、脇には庚申(こうしん)塔の石塔が建てられています。昔から村のはずれには石仏が祀られ、村への悪霊・厄病の侵入を防いでいました。
ここの地を、古絵図では地蔵堂と記していますから、昔はもっと大きなお堂があったと思われます。現在ある地蔵と庚申塔は、昭和になって集落から少し離れた山道にあったものを、この地に移転したものだそうです。
北国街道は、信号機のある間瀬(まぜ)への県道の交差点へと続き、交差点からは現在の県道のまま岩室の境へと続いていました。
福井神社前からこの交差点までの北国街道は、樋曽山隧道の工事、農地の基盤整備工事などで変更がありました。福井神社からはほとんど真南に進み、観音山の 突き出しで若干平野側へゆるやかに曲がり、集落の近くからは、概ね現道が北国街道であったようです。交差点から、樋曽集落の岩室側のはずれまでの間は、明 治33年に工事が完成した間瀬への道路工事や、昭和29年に施工された農地の基盤整備事業、それに伴う樋曽祓川(はらいがわ)の改修工事により、部分的な 拡張・改良はありましたが、ルートとしては現在の県道と同じでした。明治時代以降に新道が造られていれば、必ず記録に残っているはずですが現在のところ、 新道建設の記録は見つかっていません。
・樋曽には、今山神社・羽黒神社・日吉神社・浄見寺・浄善寺があります。



(2)岩室
北国街道は樋曽集落から岩室集落へと続いています。この区間も、現在の道は北国街道当時とルートとしては全く変わっていません。
岩室集落に入ると、左手、道の下に霊雁泉(れいがんせん)の源泉公園、右手に夜泣き地蔵の祀られている祠があり、その上の小高い山手に岩室薬師堂、少し離 れた高い階段の上には、明治の終わり頃に建設された、旧岩室村招魂社(しょうこんしゃ)があります。
さらに現道を南に進むと、右手に慶覚寺(きょうがくじ)が見え、信号機のある交差点へ到達します。
信号のある交差点から矢川までの間を、昔は堂坂「ドンサカ」と呼んでおり、その場所から掘り出されたと言われる仏像は、村の文化財に指定され、松岳寺(しょうがくじ)に安置されています。
北国街道は、明治11年、明治天皇が北陸巡幸のおり、休息した高島屋の前を通り、しばらく進むと右手に地蔵様が祀られている公会堂があり、さらに岩室祓川 へと続いていました。霊雁泉から岩室祓川までの北国街道は、現在の道とほとんど変わっていません。
岩室祓川に差し掛かると、左手に地蔵様が小さな祠の中に祀られています。北国街道の時代には、この付近に一里塚が築かれていたことが古絵図(高島屋所蔵) に記されています。正保の越後国絵図では、一里塚が岩室と樋曽の間に記されています。越後国絵図が誤記なのか、道の変更で一里塚の位置が変更になったのか は不明です。北国街道は、ここで現在の主要地方道新潟・寺泊線から離れ、岩室祓川の左岸から右岸へ渡り、右岸沿いに矢川まで下っていました。
現在、ここには揚水機場が設置され、矢川の水を汲み上げ、岩室の水田へ配水しています。
・岩室には、松岳寺・慶覚寺・蓮華寺・岩室神社・謙宗屋敷跡・松岳山頂碑・岩室堤・岩室焼窯跡・丸小山良寛歌碑・冬妻ホタルの生息地・明治天皇小休息所(高島屋)などがあります。

北国街道は、矢川の左岸の土手沿いに南下していました。
少し歩くと岩室温泉病院が右手に現れ、矢川の対岸にも人間ドック、高齢者の介護施設、保育園、橋本集落の神社が見えます。
岩室温泉病院は、明治35年に創立された岩室西尋常(じんじょう)小学校(戦後は岩室小学校西校舎)の跡地に建てられています。
やがて道は、岩室と石瀬の境にある小さな小川を越えます。北国街道はこの先で、矢川の土手と離れていきました。(矢川の土手は道ではありませんから、歩行には不適です。)
北国街道の左手、矢川の間には伝説「お杉とお松」で有名な敵見松(てきみまつ)が見えていました。
良寛の詠んだ「田中の松」の歌を刻んだ石碑もありましたが、放水路工事で種月寺参道に移転されています。放水路工事完成後には河川公園が造られ、移転が計画されているようです。
北国街道は、この辺から石瀬下町の子育て地蔵の前へと、ゆるい右カーブを描いていました。昭和36年に施工された農地の基盤整備事業により、北国街道は完全に消えてしまいました。初代の敵見松も、明治の初めに枯れました。
岩室温泉病院の脇まで戻り、主要地方道新潟・寺泊線を石瀬へと歩き出すと、やがて右手の山すそに大きな杉の古木が見えてきます。岩室村の天然記念物に指定されている、石瀬の一本杉です。
「受光22.0m幹の周り635?p根元周り750?p」
岩室祓川から石瀬種月寺門前までの道は、昭和8年に完成しています。この新道の完成により、岩室西尋常小学校の正門が今までの裏へ変更されたのだと、年配者は少年時代を懐かしそうに振り返り、話をしてくれました。



(3)石瀬
子育て地蔵の前から再び北国街道を歩きましょう。
種月寺門前へ戻り、石瀬集落内を通る、主要地方道新潟・寺泊線を南へと歩きます。石瀬集落内は樹木が多く、北国街道の時代を彷彿させてくれます。
現在は、コンクリートのふたで見えませんが、道の脇には小川が作られていました。江戸時代の前期に、山からの水を取り入れ、防火用水、洗い物、また岡田への用水路として造られたのでしょう。貴重な文化財だと考えます。
北国街道は下町から中町(なかまち)へ、やがて茶屋川に架かる橋を渡り、上町(かみまち)へと続きます。石瀬集落内の北国街道は、現在の主要地方道新潟・寺泊線と変わっていません。
石瀬の上町のはずれ近くまで来ると、右手に湯殿山の石碑があります。北国街道は、この石碑の少し手前から現道より山側にあったようです。湯殿山の石碑は、 新しい道路(現在の主要地方道新潟・寺泊線)の開通により180度向きを変更したと言われていますから、北国街道は湯殿山の石碑と山の間にありました。
さらに20mほど進むと右手に地蔵様の祠が見えます。この地蔵も北国街道の時代には、現在よりも4〜5m高い山に祀られていましたが、新道の開通で現在地 に移動しました。北国街道は、石瀬の人家が途切れた先からは、山の裾に沿いながら蛇行していました。
昭和20年代までは、現道の山側に旧道の形が残っていましたが、現在では痕跡すらわからなくなっています。
北国街道は、山が平野側へもっとも突き出ている所から右折して、金池へと向かっていました。
金池へ入る手前の右手、山裾には大きな自然石の庚申塔があります。
この辺りからは南東、はるか向こうの井田丘陵の手前に楊枝(ようじ)潟が見えたことでしょう。楊枝潟は昭和の10年代に完全に干拓され、一帯には現在、美田が広がっています。
・石瀬には、この他に種月寺、青龍寺、浄専寺、石瀬神社、天神山城址、石瀬代官所跡地、五輪塔、金毘羅神社、石瀬薬師、石瀬堤などがあります。



(4)金池
金池集落に入ると、左手に大きな樹の切り株が残され、大日如来の石仏、庚申塔が祀られています。ここには大きなエノキの樹がありました。地際の近くから太 い幹が三本伸びた、すばらしい樹木でしたが、老木になり、枯れ枝の落下で家屋や人畜に危害を与える恐れから伐木されました。
50mほど進むと道の左側に小さな祠があり、中には二体の石仏が安置されています。
しばらく集落内の北国街道を南に歩くと、右手に堤(つつみ)が現れます。この付近が、明治22年までは石瀬村と金池村(当時は金池原新田村と呼称)との村境だったと言われています。
石瀬や岩室にも堤が築かれていました。山麓に作られた水田(岡田)は雨水が頼りでしたから、各集落は堤を築き、水の確保に努力していたのでしょう。
さらに進むと、右手の少し奥に清水が湧いていました。かつては街道の清水として旅人の喉を潤したと言われていますが、最近は枯渇が懸念されています。清水 のところには、不動(ふどう)様の石仏が数体、祀られています。石仏を眺めていると、北国街道の時代のにぎやかな頃が想像されます。街道の清水は、村人同 士や、村人と旅人との交流の場所であったことでしょう。
さらに少し歩くと、左手の奥に金池集落の諏訪(すわ)神社が見えます。この先で北国街道は弥彦村上泉へ入り、泉祓川を渡っていました。
昭和11年に完成した、上泉から石瀬上までの新道の分岐点から、金池集落を通る街道は、北国街道の当時から拡張はされていますが、ルートは変わっていませ ん。北国街道はこのあと、弥彦下赤坂(しもあかさか)へ続き、弥彦宿へと入ることになります。




Copyright 岩室温泉観光協会 All Right Reserved.