岩室の
生い立ち

岩室温泉は、別名「霊雁の湯」とも呼ばれています。それは、正徳三年(1713)、白髪の老翁が庄屋高島庄左衛門の夢枕に立ち、そのお告げ通りにこの地を探すと、一羽の傷ついた雁が泉流に浴して怪我を癒していたことから、源泉を発見したとされる不思議な言い伝えに由来しています。この公認があった年から、岩室が温泉地として一層活気づき、その後の発 展の出発点となったことを考慮すると、この「霊雁の湯」伝説には、さらなるこの地の繁栄を願う村民の思いが込められていることがうかがわれます。

伝統文化

お杉とお松の伊勢参り

昔、越後国蒲原郡石瀬村のお杉、お松姉妹という二人の美しい娘が伊勢参りに出かけ、宇治の門前宿に泊まり、不思議な出来事が起きた伝説があります。

五合庵

玉島(岡山県倉敷市)の円通寺で厳しい修業を終え、越後に戻った良寛が寛政5年(1793年)ころから約20年過ごした庵。もとは国上寺本堂を再建した客僧「萬元上人(ばんげんしょうにん)」が毎日米五合を給されていたことに由来されています。良寛はここで托鉢に出たり、座禅をしたり、「源氏物語」や「万葉集」、「永平録」などを読んだ。そして、多くの漢詩・長歌・短歌を生み出したとされる。

北国街道

大和朝廷が開き、上杉謙信が整備した北国街道。新潟湊が発展すると出雲崎から新潟まで延長されました。江戸時代には、脇街道として制定され信州追分(上田)から直江津で北陸道に合流、出雲崎-弥彦-岩室-新潟までを「北国街道」と呼びました。

良寛と
岩室

和尚(俗名:山本栄蔵)は出雲崎の庄屋橘屋の長男として、宝暦8年(1758)生誕。18才で光照寺(出雲崎)で悌髪し、仏門に入る。22才から37才の間、岡山県倉敷市「円通寺」で国仙和尚の弟子として修行、「大愚良寛」と改める。その後、国上寺五合庵、乙子神社、寺泊の密蔵院で69才まで住まいし、晩年の6年間は島崎(旧和島村)の木村家で供養うを受け、天保2年(1831)1月6日74才で死去。国上山での頃から、良寛和尚は旧岩室村の医家・山岸楽斎や小川家、堀越家をはじめ岩室温泉、間瀬に度々足を運び、多くの詩歌を詠んでいます。

樋曽山の良寛歌碑

田中の松の良寛歌碑

間瀬浜の良寛歌碑

ゆかりの
ある
著名人

和尚俳人・アートディレクター
中原 道夫氏

落語家
立川 談志氏

漫画家
高井 研一郎氏

直江兼続の実弟
「大国実頼」

天神山(標高250m)は、全山が雄大な縄張りをもつ山城の跡。城主は小国氏で、いつ築城されたかは定かではないが、室町時代には小国氏が在地していた。天正11年(1583)清水内蔵助が天神山城将になり、上杉氏の一国支配下となり、慶長3年(1598)上杉景勝、会津国替えに際し廃城となった。2009年NHK大河ドラマ、火坂雅志氏著書『天地人』主人公「直江山城守兼続」、その弟・大国実頼は天神山城主であって兄弟で上杉家、お屋形さまに命を棒げた。